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湘南日々記
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国立公文書館が戦災概況図を公開
国立公文書館デジタルアーカイブに全国主要都市戦災概況図が公開されています。

平塚市戦災概況図

国立公文書館デジタルアーカイブ ←クリック

神奈川県では、横浜、川崎、横須賀、平塚、小田原、藤沢の概況図があります。

上図は平塚市の被災を示す「戦災概況図平塚」です。

図面を拡大して中心部を見てみると、戦災復興事業で区画整理される以前の地形図に、
昭和20年の7月16日、7月30日、8月2日の被災状況が示されています。

「平塚市史10 通史編 近代・現代 第四章 空襲と戦災」によると

「平塚攻撃の三一四航空団所属B29爆撃機136機が基地のグアム島北飛行場
を発進したのは、昭和二十年七月十六日、日本時間十六時三八分。
(省略)

攻撃一番機が爆弾を投下したのが十六日の二三時三二分、最終投弾時刻が十七日
一時十二分。この間、無差別的絨毯焦土爆撃が一時間四◯分にわたり行われ、
非戦闘員である無辜の住民を奈落の底に陥れた。
(省略)

猛火に囲まれた市民は、我先にと女子供連れで花水川・馬入川・平塚海岸へと
幹線道路を伝い逃げ出したが、行く先々で焼夷弾に遮られた。馬入橋上もまるで
打ち上げ花火が落ちたようで、逃げる人でいっぱいだった。

手荷物に火が燃え移るもの、逃げる途中で直撃弾で即死する者、敵機の低空に
よる旋回機銃の掃射を受けた者もいた。その光景は阿鼻叫喚の地獄絵図としか
形容できなかった。」

負けたら一億玉砕しか考えられず、戦争の早期終結ができなかった軍人や政治家達。
あれから長い年月がたっても、政治や外交は、あまり変わってないようで心配です。



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「平塚の地盤」の講演会 平塚市松原公民館
平塚市松原地区の公民館で、「平塚の地盤」と題した講演会がありました。

講師は、平塚博物館の学芸員・森先生で、地質関連の専門家です。

松原地区は国道1号線の、相模川に架かる馬入橋のたもとです。

3.11以降、地震と津波に関心が高まり、多くの方が出席されました。

森先生は70年代半ばの平塚博物館創設の当時から、平塚や相模川・

相模湾周辺の地層・地質を調査されてきた地域密着の専門家です。

松原公民館講演-1

砂州砂丘と堤間凹地、自然堤防と旧河道が、この地域にどの様に

分布しているか、津波は相模湾の海底構造でどう動くだろうか、

今回の震災で平塚周辺でも起きていた液状化、浦安や東北の

被災地の報告など、盛りだくさんのお話を聞かせていただきました。

松原公民館講演-2


森先生は、2007年の平塚博物館・夏季特別展「平塚周辺の地盤と

活断層」で、「平塚周辺の地盤図」を発表されて、多くの方々から

好評を得られました。3000本以上のボーリング資料を解析して

まとめられた地盤図だそうです。

「平塚の地盤図」は博物館に購入希望の問合せが絶えませんが、

現在は在庫切れ、幸い6月には増刷されるそうです。

茅ヶ崎から二宮、秦野・伊勢原から寒川までカバーしており、

周辺の方々にもお勧めです。

「平塚周辺の地盤図」 ← クリック

また、平塚博物館では、6月16日(土)から「地震と平塚の地盤」

の展示が予定されているそうです。


久しぶりの江ノ島
金環日食の前日に、久しぶりに江ノ島に行って来ました。

当日の干潮は、湘南港で10時29分です。

江ノ島-1

岩本楼の下の海岸を西に回り、結構厳しい難所もありましたが、

岩屋を眺める海岸まで無事足をのばすことが出来ました。

江ノ島-2

鎌倉・材木座海岸にある和賀江島
大潮の日、鎌倉の和賀江島に行って来ました。

材木座海岸と逗子マリーナとの沖合いにある島です。

鎌倉時代に建造された、日本で最古の港湾遺跡です。

和賀江島-1

潮が引いた海岸は逗子マリーナ側から歩いて渡れます。

和賀江島-2

丸石がゴロゴロする中を歩いて行くと、コンクリートの柱があります。

たぶん、ここが島の中心でしょう。

鎌倉幕府が交易していた中国・宋の船が浜辺に接岸できないので、

石積みをして桟橋を建造したようです。

石材は相模川や酒匂川、伊豆半島などから運ばれたそうですが、

真鶴半島でよく見かける真鶴ゴロタと呼ばれる丸石も見かけます。

和賀江島-3

材木座海岸側を見ると、引き潮で動けなくなった船が3隻あります。

和賀江島-4

3時間後には、わずかな範囲が顔を出す島影になっていました。

小坪周辺の民家に、海岸の丸石が、外壁の石垣の玉石として

使われているのに気づきました。

なかなか風情あって、いいものです。

戦災復興都市計画図
平塚市役所に行くと、市制80周年ということで、玄関に沢山のパネル写真が

展示されていました。

その中で目に留まったのが、この復興都市計画です。

復興都市計画

平塚市は、海軍火薬工廠や軍事物資工場で繁栄した、横須賀海軍のための

都市でした。空襲で広い範囲が被災し、戦後に震災復興事業で区画整理され、

街の形が大きく変わりました。その時の縮尺三千分の一の復興計画図です。

都市復興計画図
平塚復興都市計画図(昭和三十年三月 平塚復興事業所)「平塚市史10 通史編 近代・現代」附録

旧復興計画図
平塚市全図(平塚市役所土木課) 作成年月不詳

下図は、従来持っていた一万分の一の計画図ですが、これと比べ上図

では建築物がきちんと描かれており、昔の町並みをイメージできそうです。

海軍火薬工廠鉄道引込線を比較すると、すでに鉄道マークはありません。

数年の相違があるのでしょう。八幡山公園南にある現在の国道1号線の

位置は計画線です。土がけ(崩土)も記載されています。

この地図とパネルを比較しながら、市街地の変遷を眺めると面白そうです。





プロフィール

湘南日々記

Author:湘南日々記
土地家屋調査士 西山啓示のブログに、ようこそ!
事務所を神奈川県平塚市の市役所・八幡山公園前に置いております。
このブログでは、地元の自然、地誌、業務など、気の向くまま書き綴ってます。



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